死亡の指名手配犯・桐島聡は何した人?逃亡期間や偽名についても調査

死亡の指名手配犯・桐島聡は何した人?逃亡期間や偽名についても調査

指名手配犯として日本中に顔が知られていた桐島聡容疑者が、病院で死亡しました。逃亡から約50年後に発見され死亡した桐島聡容疑者は、何した人物だったのでしょうか?当時の日本社会を知らなければなかなか理解できないであろう、桐島聡容疑者が何した人物だったのかについて、この記事で解説していきたいと思います。罪名や犯行内容、また逃亡期間やその間の暮らしについても調査しました。

桐島聡容疑者は何した人物?

日本中に顔が知られていた桐島聡容疑者は、一体何した人物だったのでしょうか。当時の日本社会や歴史を振り返りながら、分かりやすく解説していきます。まずは、桐島聡容疑者が何した人物だったのかについて、ポイントをまとめてみましょう。

  • 桐島聡容疑者はテロリストグループ「東アジア反日武装戦線」のメンバーだった
  • 数多くの企業爆破事件を起こし1975年5月に爆発物取締罰則違反で指名手配された
  • 「東アジア反日武装戦線」の中の「さそり」グループに属していた
  • 一般企業に勤めながら自宅で爆弾制作をしていた

桐島聡容疑者が属していた「東アジア反日武装戦線」とは

「東アジア反日武装戦線」とは、桐島聡容疑者が属していたテロリストグループです。1970年代の日本では、国民の政府に対する反発がエスカレートし、学生らがストライキをするいわゆる「学生運動」がさかんに行われていました。しかし学生運動だけでは政府を変えることはできず、学生運動とは一線を画した組織「東アジア反日武装戦線」が生まれました。日本の大手企業がアジアを経済的に侵略しているとし、合わせて12件もの爆弾テロ事件を起こしました。

桐島聡容疑者は東アジア反日武装戦線の「さそり」に属していた

桐島聡容疑者は、東アジア反日武装戦線の「さそり」というグループに属していました。東アジア反日武装戦線には以下3つのグループが存在しており、各リーダーが連携を取りながら活動をともにしていたそうです。

グループ名グループ名の由来や活動
「資本家に苦しめられている被抑圧民衆」を絶滅したニホンオオカミになぞらえ結成。爆弾の作り方を記載した本「腹腹時計」を秘密裏に出版した。
大地の牙「狼」の犯行を受け、国家も資本家もない理想の世界を目標とし、国家や資本家に立ち向かう大地の牙になぞらえ結成された。
さそり「狼」の犯行を受け、自分たちのように小さな組織も巨大な建設資本を倒すことができるさそりの毒を持っていることを誇示するため結成された。

桐島聡容疑者が所属していた「さそり」は、東京・銀座にあった「韓国産業経済研究所」のビルに爆弾を仕掛けて爆発させた事件を起こしています。

桐島聡容疑者の逃亡期間や逃亡生活とは

桐島聡容疑者は、1975年に全国に指名手配され、それから49年もの間逃亡生活を送ってきました。発見に至ったのは、桐島聡容疑者が2024年1月に末期がんと診断され入院した先の病院で「最期は本名で迎えたい」とし、桐島聡という名前を名乗ったことが発端でした。しかし、それからわずか4日後に病死しています。

ここからは、桐島聡容疑者の逃亡期間中の生活について見ていきましょう。

指名手配直後は岡山県で生活か

桐島聡容疑者は指名手配される直前に、実家に「岡山県にいる」と電話をかけたきり足取りが消えていました。それ以降は有力な手掛かりがつかめないまま、約49年もの間野放しになっていたことになります。桐島聡容疑者の罪名である爆発物取締罰則違反の時効は25年とされていますが、共犯者として「狼」に属していた大道寺あや子容疑者が海外逃亡していることで、時効が停止していたのです。

土木会社に住み込みで働いた晩年

桐島聡容疑者は指名手配されて以降、数十年にもわたり土木会社に住み込みで働いていたことが分かっています。半世紀にも及ぶ逃亡生活の中で「内田洋(うちだ・ひろし)」という偽名を使って、周囲からは「うっちー」と呼ばれ親しまれていたそうですよ。住まいや職場は神奈川県藤沢市近辺であるとされ、藤沢駅にあるバーの常連だったことも分かっています。

まとめ

桐島聡容疑者の犯行内容や逃亡期間中の人生について振り返りました。かつての桐島聡容疑者同様に指名手配されている八田與一 親が謝罪の手紙を被害者に送るなど、残された家族が壮絶な人生を歩むことになるのは想像に難くありません。桐島聡容疑者が事件を起こした当時大学4年生だったことから、桐島聡容疑者の両親は息子の罪により平穏な暮らしを奪われ、必死で生き延びてきたことでしょう。桐島聡容疑者の逮捕時、父親ときょうだい2人は健在だったそうですよ。一刻も早い、事件の真相解明が求められますね。

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